ロサンゼルス・ドジャースの山本由伸投手がワールドシリーズで見せた、中0日での救援登板は多くのファンに衝撃を与えました。この常識を覆す登板の中0日の舞台裏には、一人の指導者の存在があります。その人物こそ、山本投手をプロ入り直後から支え続ける矢田修氏です。
ワールドシリーズ第7戦、山本投手に**「明日、ブルペンで」**投げられるようにしようか、と告げた矢田氏。一体どのような人物なのでしょうか。
この記事では、謎に包まれた矢田修の経歴から、山本投手との運命的な出会い、そして「今のままでは限界がある」という衝撃的なフルモデルチェンジ宣言の逸話までを深く掘り下げます。
さらに、彼らが築いてきた共進化する師弟関係の核心に迫りながら、矢田氏が提唱する独自の身体知の哲学、現代の主流とは異なる筋トレからの脱却という思想、そしてBCエクササイズと呼ばれる独自メソッドについても解説。また、山本投手以前からの門下生である筒香嘉智の証言なども交え、矢田修氏の影響力の全貌を明らかにしていきます。
この記事でわかること
- 矢田修氏の具体的な経歴と人物像
 - 山本由伸投手との出会いと関係性の詳細
 - 「身体知」に基づく独自のトレーニング理論
 - ワールドシリーズでの歴史的登板の背景
 
山本由伸を支える矢田修とは?
- 矢田修の経歴と人物像
 - 山本との運命的な出会い
 - 衝撃のフルモデルチェンジ宣言
 - ワールドシリーズ中0日の舞台裏
 - 伝説を生んだ「明日、ブルペンで」
 
矢田修の経歴と人物像
山本由伸投手の活躍を影で支える矢田修氏とは、一体どのような人物なのでしょうか。
彼は1959年に香川県で生まれ、その活動は一つの分野に留まりません。中核となるのは、自身が院長を務める「矢田接骨院」での臨床活動です。しかし、彼の本質は単なる治療家ではありません。
矢田氏は、身体知教育を目的とする学術団体「キネティックフォーラム」を主宰し、さらに「NPO法人 スポーツ健康援護会」の創設者として社会貢献にも力を注いでいます。加えて、野球用具ブランド「Ip Select」のアドバイザーも務めており、その影響力は治療、教育、産業と多岐にわたります。
これだけの肩書を持ちながら、彼の人柄は極めて素朴であると伝えられています。山本由伸投手が初めて会った際の印象を「漁師町のにいちゃん、という感じ。純朴」と語っているように、理論を振りかざす指導者とは一線を画す存在です。この飾らない人柄と、身体の本質を突く鋭い洞察力のギャップこそが、多くのアスリートを惹きつける魅力と言えます。
意図されたキャリアの進化
矢田氏の経歴を詳しく見ると、そこには明確な長期的ビジョンが見て取れます。
- 第一段階:実践と研究(1980年~) 20代前半で「矢田接骨院」を開業。ここを単なる治療の場ではなく「研究室」と位置づけ、マニュアルに頼らない独自の理論とアプローチを何年にもわたり構築しました。
 - 第二段階:体系化と教育(1988年~) 臨床で得た知見を「キネティックフォーラム」の創設によって体系化。個人の技術を、医師やトレーナーといった専門家たちに共有し、教育するプラットフォームを築き上げ、一人の実践家から教育者へと役割を拡大させました。
 - 第三段階:社会還元(1996年~) 確立した方法論と専門家ネットワークを基に「NPO法人 スポーツ健康援護会」を設立。トップアスリート支援に留まらず、高齢者の健康増進や地域スポーツ振興など、その哲学を社会全体の財産として還元する活動を開始しました。
 
このように、「実践→体系化→社会還元」という戦略的な歩みは、彼が自身の哲学を社会システムとして実装する能力を持った、稀有な思想家であることを示しています。
山本との運命的な出会い
山本由伸投手と矢田修氏の出会いは、2016年秋に遡ります。
当時、オリックス・バファローズからドラフト4位指名を受けたばかりの18歳だった山本投手。彼は、自身が愛用していたグラブメーカー「Ip Select」のアドバイザーを務めていた矢田氏の紹介で、初めて対面することになりました。
都城高校時代から世代屈指と評価されていた山本投手は、プロの世界でさらなる高みを目指すべく、大きな野心を抱いていました。この時、彼が18歳にして矢田氏の言葉を受け入れる準備ができていたことが、その後の飛躍の最大の要因となります。
この出会いは、単なるトレーナーと選手の出会いではなく、のちに球界の常識を覆すことになる師弟関係の始まりでした。
衝撃のフルモデルチェンジ宣言
矢田修氏は、初対面の山本由伸投手の身体や投球フォームを注意深く観察し、彼が抱く壮大な理想に耳を傾けました。その上で下した診断は、18歳の若者にとってあまりにも衝撃的なものでした。
「寝る間を惜しんでトレーニングをしたとしても、今の投げ方の延長線でそこには行かれへんよ。そこに行くためにはフルモデルチェンジが必要ですよ」
これは、これまでの成功体験をすべて捨て、全く新しい身体の使い方を一から構築し直すことを意味します。プロとしてのキャリアが始まるまさにその瞬間に、自らのアイデンティティを根底から揺るがす宣告でした。
しかし、山本投手の応答は矢田氏の予想を超えるものでした。彼は一切の間を置かず、迷いなくこう即答したのです。
「じゃあ、そうします」
この即答こそ、二人の関係性を象徴する「共鳴の瞬間」でした。山本投手自身が、無意識のうちに「現在の延長線上」にある限界を感じ取っており、本質的な変化を渇望していたことの現れです。この絶対的な信頼と共有されたビジョンが、その後の長きにわたる師弟関係の礎となりました。
ワールドシリーズ中0日の舞台裏
2025年、山本由伸投手がワールドシリーズで見せた歴史的な登板は、矢田氏の哲学が正しかったことの何よりの証明となりました。
第6戦に先発し96球を投げ抜いた山本投手は、常識的に考えれば、翌日の第7戦(最終戦)に登板することは不可能です。実際、山本投手自身も「最終登板だと思っていた」と語り、シーズン終了の挨拶を告げていたほどでした。
しかし、チームが勝利し第7戦にもつれ込むと、事態は誰もが予想しなかった方向へ進みます。この一見、超人的とも思える登板を可能にした背景に、矢田氏の存在がありました。
これは単なる根性論や、驚異的な回復力の結果ではありません。山本投手がプロ入り直後から10年近くにわたり、矢田氏の指導の下で培ってきた身体哲学と、その実践の集大成だったのです。メディアが「矢田の導きの手が、山本を伝説へと変えた」と報じたように、この瞬間は矢田ドクトリンが導き出した必然的な帰結でした。
伝説を生んだ「明日、ブルペンで」
中0日での登板という奇跡は、矢田氏の静かな一言から始まりました。
第6戦の激闘を終え、シーズン終了の挨拶に訪れた山本投手に対し、矢田氏は静かに、しかし確信を持ってこう告げたと言います。
「明日、ブルペンで投球できるくらいには持っていこうか」
この言葉は、単なる精神論や励ましではありません。矢田氏は山本投手の身体の状態を完璧に把握し、自らの施術とアプローチによって、翌日にも投球可能な状態へ回復させられるという絶対的な自信を持っていたのです。
前日の激闘の疲労が残る身体に対し、矢田氏がどのようなアプローチを行ったのか詳細は明かされていませんが、結果として山本投手は第7戦の救援マウンドに上がりました。このエピソードは、山本投手の矢田氏への全幅の信頼と、それに応える矢田氏の卓越した技術と理論を象徴しています。
山本由伸と矢田修の独自理論
- 根幹となる身体知の哲学
 - 筋トレからの脱却という思想
 - 400種のBCエクササイズ
 - 共進化する師弟の関係性
 - 筒香嘉智の証言に見る影響
 - 山本由伸と矢田修の探求
 
根幹となる身体知の哲学
矢田氏の指導の根幹には、「身体知(しんたいち)」という独自の概念が存在します。
これは、アスリートのパフォーマンスを筋力やスピードといった物理的な数値(外面的な評価)だけで捉えるのではなく、本人の感覚、意識、経験が統合された身体の叡智(内面的な感覚)として捉えるアプローチです。
矢田ドクトリンの最大の特徴は、伝統的な「ティーチング(教えること)」とは一線を画す点にあります。矢田氏は、具体的な技術や「正しいフォーム」を一方的に教え込むことをしません。彼の役割は、アスリート自身が自らの身体と対話し、内なる感覚に耳を澄ませ、最適な動きを「自ら発見する」プロセスを促進するファシリテーター(案内人)なのです。
「“外から教える”のではなく、“内から気づかせる”」
この思想により、選手は指導者に依存するのではなく、自らの身体の主となります。その結果、状況に応じて自己調整できる能力、すなわち真の自律性を獲得することができるのです。
筋トレからの脱却という思想
矢田ドクトリンの中でも特に急進的であり、現代スポーツ科学の潮流に逆行しているのが、「筋トレ一辺倒からの脱却」という思想です。
現代の多くのアスリート育成現場では、ウエイトトレーニングによる筋力強化(筋肥大)が、パフォーマンス向上のための絶対的な基礎と見なされています。しかし、矢田氏はその考え方に疑問を呈します。
彼が最優先するのは、個別の筋肉を肥大させることよりも、全身が滑らかに連動し、協調して動く能力、すなわち「身体の連動性」です。
この哲学は、山本由伸投手のトレーニング内容に明確に表れています。彼が重いバーベルを持ち上げるようなトレーニング(高重量ウエイトトレーニング)をほとんど行わず、代わりに「やり投げ」や「ブリッジ」といった、一見すると地味な、全身の協調性を高めるための独特な練習を重視しているのは、まさに矢田氏の影響の現れです。
これらのトレーニングは、特定の筋肉に負荷を集中させるのではなく、身体の中心から末端まで、力をスムーズに伝える感覚を養うことを目的としています。矢田氏にとって真のパワーとは、個々の筋肉の力の総和ではなく、全身が一体となって生み出す調和の取れた力の流れなのです。
400種のBCエクササイズ
矢田氏の「身体知」という哲学は、抽象的な精神論ではありません。それは「BCトータルバランスシステム」という科学的な診断と、「BCエクササイズ」という具体的なメソッドによって支えられています。
診断:BCトータルバランスシステム
矢田氏の指導は、まずアスリートの身体が持つ歪みや動きの癖を客観的に評価することから始まります。ここで用いられるのが、「BCトータルバランスシステム」と呼ばれる診断体系です。
このシステムの信頼性を支えているのが、キネティックフォーラムが独自に開発した「キネティックラボセンサー」という測定機器です。左右の首、脇、手首、膝、足首の計10箇所のポイントを測定し、身体の非対称性やバランスの偏りを数値データとして可視化します。
これにより、指導者の主観や選手の感覚だけに頼るのではなく、客観的なデータに基づいて問題の根本原因を特定します。この科学的アプローチが、選手からの信頼を獲得し、その後のトレーニングへの納得感を高める第一歩となります。
再教育:400種のBCエクササイズ
診断によって身体の状態が明らかになった後、具体的な改善プロセスとして用いられるのが「BCエクササイズ」です。
このエクササイズは400種類以上にも及びますが、そのほとんどが「地味なトレーニング」と表現される、一見すると単純で目立たない動きで構成されています。
この「地味さ」こそが、BCエクササイズの核心です。派手な動きや重い負荷を伴うトレーニングは即時的な達成感を得やすい反面、身体の深層にある根本的な動きのパターンを変えるには至らないことがあります。
一方、BCエクササイズは、ゆっくりとした動きの中で身体の細部に意識を向け、神経と筋肉の協応関係を丹念に再構築していく作業です。これには極度の集中力と忍耐、そして指導者への深い信頼が求められます。
究極の目標:「600の筋肉」による交響曲
BCエクササイズを通じて目指す究極の身体状態は、「全身の600の筋肉が連動する」イメージで説明されます。
それは、「力を発揮する時に、1つの筋肉に100の力を入れるのではなく、全身の600の筋肉に1ずつ力を入れて、全身を連動させ爆発的な力を発動させる」という感覚です。
全身の筋肉が調和の取れたオーケストラのように完璧なタイミングで協働することで、個々の筋肉にかかる負担は最小限に抑えられます。その結果、力みや無駄なエネルギー消費がなくなり、より少ない労力でより大きなパワーを生み出し、同時に怪我のリスクを劇的に低減させることが可能となります。
山本由伸投手が語る「力を抜いた中で力を出す」という感覚は、まさにこの「600の筋肉による交響曲」が実現した状態を指しているのです。
共進化する師弟の関係性
矢田修氏が山本由伸投手に行った指導は、極めて特異なものでした。「フルモデルチェンジ」を宣言した後も、矢田氏は山本投手に対して投球フォームに関する具体的な技術指導はほとんど行わなかったと言います。
指導の核心は、山本投手が自身の身体をより深く「自己理解」することにありました。矢田氏は、山本投手が感覚を研ぎ澄ませ、身体の内部で何が起きているかを観察する(内観する)プロセスを辛抱強くサポートしました。
その結果、山本投手のフォームは劇的に進化し、球速と制球力は飛躍的に向上します。彼は自らのトレーニングを「力じゃない力を鍛えている」「力を抜いた中で力を出す」といった、矢田ドクトリンを完全に内面化した言葉で表現するようになりました。
彼らの間の深い信頼関係は、前述のワールドシリーズでのエピソードで頂点に達します。中0日での登板という偉業を成し遂げた後、山本投手は自らの功績を称えるのではなく、こう語りました。
「やっぱり矢田修という方がどれだけすごいかを証明できたんじゃないかなと思います」
この言葉は、彼自身の個人的な達成が、師である矢田氏の哲学の正しさを世界に示すためのものであったことを物語っています。彼らの関係は、単なる指導者と選手の関係を超え、共通の哲学を体現するための「共進化」のパートナーシップと言えます。
筒香嘉智の証言に見る影響
矢田修氏の影響力は、山本由伸投手の成功によって広く知られるようになりましたが、決して孤立した事例ではありません。メジャーリーガー・筒香嘉智選手も、矢田氏の指導を長年にわたり受けてきた門下生の一人です。
筒香選手と矢田氏の関係は、彼がまだ中学生だった頃にまで遡る、非常に長期にわたるものです。筒香選手の証言は、矢田氏の指導が単なるフィジカルな側面に留まらないことを示しています。
彼は、矢田氏の「考え方」に触れることで、より主体的にプレーと向き合うようになり、それがメンタル面の成長にも繋がったと語っています。
特に「自分の身体は、自分で育てる。だからこそ責任も生まれる」という筒香選手の言葉は、矢田ドクトリンの核心である「アスリートの自律性」が、彼のキャリア観そのものに深く根付いていることを示しています。
山本投手以前にも、トップレベルで活躍する選手を育成した実績があることは、矢田氏の方法論が特定の個人に依存するものではなく、再現性のある普遍的な原理に基づいていることの力強い証拠です。
山本由伸と矢田修の探求
この記事では、山本由伸投手と彼を支える矢田修氏の関係性、そしてその根底にある独自の理論について掘り下げてきました。最後に、その重要なポイントをまとめます。
- 矢田修氏は香川県を拠点とする接骨院院長であり指導者
 - 彼は「キネティックフォーラム」やNPO法人も主宰している
 - 山本由伸の第一印象は「漁師町のにいちゃん」
 - 二人の出会いは山本由伸のプロ入り直前、2016年秋
 - 矢田氏は初対面で「フルモデルチェンジが必要」と宣告
 - 山本由伸は「じゃあ、そうします」と即答し、全幅の信頼を寄せた
 - ワールドシリーズでの中0日登板は、矢田氏の理論の集大成
 - 第6戦後、矢田氏は「明日、ブルペンで」と登板を示唆した
 - 矢田氏の哲学の根幹は「身体知」という概念
 - 指導法は「教える」のではなく「内から気づかせる」こと
 - 現代主流の「筋トレ一辺倒からの脱却」を掲げる
 - 重視するのは個別の筋力より「全身の連動性」
 - 診断には「BCトータルバランスシステム」という機器を使用
 - 改善には400種以上の「BCエクササイズ」を用いる
 - 山本由伸と矢田修の関係は、共通の哲学を体現する「共進化」の関係
 - 筒香嘉智も中学時代から矢田氏の指導を受ける門下生
 - 矢田氏の理論は、アスリートの「自律性」を育む
 


