久米宏さんは、日本の放送史において類まれなる足跡を残した唯一無二の表現者でした。
2026年が明けて間もなく、多くの人々を驚かせた訃報と死因の真相が明らかになり、改めてその存在の大きさが浮き彫りとなっています。昭和の音楽シーンを彩ったザ・ベストテンや、お茶の間を沸かせたぴったしカン・カン、そして洗練された大人の会話を楽しめたおしゃれなど、彼が手掛けた番組は枚挙にいとまがありません。
料理天国で見せた軽快な進行や、横山やすしさんと火花を散らしたTVスクランブルでの実験的な試みは、後のニュースステーションで見せた報道のあり方さえも劇的に変えていきました。
黒柳徹子さんとの絆に象徴される人間味あふれる交流や、視聴者の度肝を抜いた伝説の生放送演出の数々は、今でも私たちの記憶に鮮明に刻まれています。晩年のラジオなんですけどまで、常に言葉の力を信じ抜いた彼の歩みを、今改めて振り返ります。
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この記事でわかること
- 逝去の状況と遺族から語られた最期の様子
- TBS時代からフリー転身後の代表的なバラエティ出演作
- ニュースステーションが日本の報道番組に与えた衝撃
- 業界内外から寄せられた高い評価とメディア史への功績
久米宏は何に出てた?出演番組と経歴を総まとめ
- 元日に届いた訃報と死因の真相に迫る
- ザ・ベストテンで見せた司会者としての真骨頂
- 共演者が語る黒柳徹子との絆と深い信頼関係
- ぴったしカン・カンで見せた軽妙な司会術
- 芳村真理と名コンビを組んだ料理天国
- フリー転身後に司会を務めたおしゃれ
元日に届いた訃報と死因の真相に迫る
2026年1月13日、日本中に衝撃のニュースが駆け巡りました。元TBSアナウンサーで、フリーキャスターとして活躍した久米宏さんが、1月1日に肺がんのため逝去されていたことが公式に発表されたのです。享年81歳という、あまりにも早すぎる旅立ちでした。
死因は肺がんとされており、本人の意向を尊重して葬儀は密葬で執り行われました。発表まで約2週間の期間があったことも、最期は静かに送られたいという彼らしい美学を感じさせます。
特筆すべきは、妻である麗子さんが明かした最期の瞬間のエピソードです。久米さんは亡くなる直前、大好物のサイダーを一気飲みして旅立たれたといいます。かつてニュース番組の最終回で見せた、あの豪快なパフォーマンスを彷彿とさせる幕引きは、まさに自由表現者としての誇りを最後まで持ち続けた証拠と言えるでしょう。
ザ・ベストテンで見せた司会者としての真骨頂
久米宏さんを語る上で欠かせないのが、伝説的な音楽番組での活躍です。1978年に放送を開始したこの番組は、最高視聴率41.9%を記録し、当時の若者文化の中心に君臨しました。
【名番組①】ザ・ベストテン
- 1978年から1985年まで放送された、音楽ランキング番組の金字塔。
- 生放送ならではの緊張感を逆手に取った、スピード感あふれる司会進行。
- 歌手が新幹線のホームや海外から中継で歌うなど、奇想天外な企画を成立させた。
彼はデータの信頼性を重視しつつも、司会者としてエンターテインメントの要素を絶妙に織り交ぜていました。台本通りに進むことを嫌い、アドリブでゲストの魅力を引き出す手法は、後のバラエティ番組の基礎を築いたと言っても過言ではありません。
共演者が語る黒柳徹子との絆と深い信頼関係
ザ・ベストテンでコンビを組んだ黒柳徹子さんとは、放送業界でも伝説的な名コンビとして知られています。二人のやり取りはマシンガントークと称され、一分一秒を争う生放送の枠内で見事な呼吸を見せていました。
訃報を受け、黒柳さんは公式SNSで深い哀悼の意を表しています。彼女は久米さんのことを「戦友」と呼び、互いの才能を認め合っていたことを明かしました。対等な立場で互いをいなし、高め合う関係性は、当時の男女司会者のあり方に一石を投じた新しいスタイルでした。
彼女が語った絆は、単なる仕事仲間以上の、深い精神的な繋がりを感じさせるものです。テレビというメディアを通して、二人が作り上げた空気感は、今でも多くの視聴者の心に温かい記憶として残っています。
ぴったしカン・カンで見せた軽妙な司会術
クイズ番組の枠を超えた面白さを提供していたのが、ぴったしカン・カンです。久米さんはここで、コント55号の萩本欽一さんや坂上二郎さんと見事な掛け合いを披露しました。
【名番組②】ぴったしカン・カン
- 正解を当てることよりも、回答者とのやり取りを重視したトークバラエティ。
- 久米さんの鋭いツッコミと、萩本欽一さんのボケが化学反応を起こした。
- 視聴者の参加意識を高める、双方向性の高い演出が人気を博した。
この番組で見せた、相手を立てながらも自分のペースに巻き込む技術は、局アナ時代の彼が磨き上げた独自のスタイルです。クイズ番組という制約の中でも、彼は自由な表現者としての翼を広げていました。
芳村真理と名コンビを組んだ料理天国
1975年から始まった料理天国も、彼のキャリアを彩る重要な作品です。芳村真理さんと共に、まだ「グルメ番組」という言葉が一般的でなかった時代に、料理をエンターテインメントとして昇華させました。
【名番組③】料理天国
- 日本のグルメ・バラエティ番組の先駆けとなった長寿番組。
- 試食した後のリアクションやコメントに、久米さん流の知性が光った。
- 洗練された大人の社交場のような雰囲気が、多くの視聴者を魅了した。
彼は料理の美味しさを伝えるだけでなく、その場の空気感を楽しむという、新しいテレビの楽しみ方を提案していました。この番組での経験が、後にあらゆるジャンルで活躍する柔軟な対応力の源泉となったことは間違いありません。
フリー転身後に司会を務めたおしゃれ
1979年にTBSを退社しフリーとなった久米さんは、日本テレビのトーク番組「おしゃれ」の司会を引き継ぎました。ゲストの素顔を引き出す巧みな話術は、この番組でさらに磨きをかけられます。
【名番組④】おしゃれ
- 毎回多彩なゲストを迎え、洗練されたセットで語り合うトーク番組。
- 久米さんの「聞く力」が遺憾なく発揮された、知的な娯楽作。
- 視聴者がゲストに親近感を抱くような、独自の視点での質問が話題を呼んだ。
この時期、彼はスキャンダルに見舞われ一時的に出演を自粛するという苦境も経験しました。しかし、そうした挫折をも自身の糧に変え、より深みのある司会者へと進化していったのです。
| 年代 | 主要な活動と出来事 |
| 1967年 | TBSに入社し、アナウンサーとしてのキャリアをスタート。 |
| 1970年代 | ラジオ中継や「ザ・ベストテン」等で、爆発的な人気を獲得。 |
| 1979年 | TBSを退社。フリーランスの表現者として新たな道を歩む。 |
| 1985年 | 「ニュースステーション」を開始。報道のあり方を根本から変革。 |
| 2004年 | 同番組を降板。その後、原点であるラジオの世界へ回帰。 |
| 2026年 | 1月1日、肺がんにより逝去。81年の生涯を閉じる。 |
久米宏は何に出てた?報道の常識を変えた代表作
- 横山やすしと共演したTVスクランブル
- ニュースステーションが起こした報道の革命
- ビールや丸刈りなど伝説の生放送演出を振り返る
- 晩年の傑作ラジオなんですけどと引退の美学
- 久米宏は何に出てたのか名番組の功績を整理
横山やすしと共演したTVスクランブル
1980年代前半、久米さんは日本テレビで、これまでのテレビの常識を覆す実験的な番組に挑みました。それが、天才漫才師・横山やすしさんとタッグを組んだTVスクランブルです。
【名番組⑤】久米宏のTVスクランブル
- 生放送中に時事ニュースを扱い、独自の映像表現で風刺を加えた。
- 制御不能な横山やすしさんの言動を、久米さんが見事にコントロール。
- 「ニュースを面白く伝える」という、後のニュースステーションの雛形。
この番組は、予定調和を嫌う久米さんの姿勢が最も顕著に現れた作品の一つです。視聴者はハラハラしながらも、権威を笑い飛ばす爽快感に酔いしれました。
ニュースステーションが起こした報道の革命
1985年、久米宏さんは自らのキャリアの集大成とも言えるプロジェクトに挑みます。テレビ朝日のニュースステーションです。この番組は、それまでの日本の報道番組のあり方を根底から破壊しました。
【名番組⑥】ニュースステーション
- ジャケットを着ない、シャツの袖をまくるといったラフなスタイル。
- 「中学生にもわかる」をコンセプトにした、専門用語を廃した解説。
- 巨大な模型やグラフを用い、視覚的にニュースを理解させる演出。
久米さんは、キャスターが自らの感情を露わにすることを許容しました。ニュースに対して驚き、怒り、時には笑う彼の姿に、視聴者はかつてない親近感と信頼を覚えたのです。これは、情報の送り手と受け手の間にあった権威の壁を取り払う歴史的な出来事でした。
ビールや丸刈りなど伝説の生放送演出を振り返る
ニュースステーションでの活動期間中、久米さんは数々の伝説を残しました。これらは単なる悪ふざけではなく、テレビというメディアを誰よりも深く理解していたからこそできた演出でした。
1989年には、プロ野球中継に関連した公約を守るため、生放送中に丸刈りになるというパフォーマンスを行いました。また、1999年には突然の降板宣言を行い、周囲を騒然とさせたこともあります。
そして最も語り継がれているのが、2004年の最終回で見せたビールのシーンです。18年半に及ぶ放送を締めくくる最後の一分、彼はスタジオでビールをジョッキで飲み干し、笑顔で番組を終えました。この軽やかな幕引きは、彼が最後までテレビという場を楽しんでいたことを物語っています。
晩年の傑作ラジオなんですけどと引退の美学
テレビの第一線を退いた後、久米さんが選んだのは原点であるラジオでした。TBSラジオ「久米宏 ラジオなんですけど」は、14年にわたり放送され、彼の深い知性とユーモアを堪能できる場所となりました。
【名番組⑦】久米宏 ラジオなんですけど
- 毎週土曜日の午後、リスナーとの双方向の対話を重視した生放送。
- テレビでは語りきれない、より踏み込んだ社会批評や個人的な想い。
- 「感覚が古くなる前に辞める」という、美学に基づいた番組終了。
2020年の番組終了時、彼は惜しまれながらも自らマイクを置く決断をしました。その後はインターネット配信「Kume*Net」で独自の活動を続けていましたが、2021年にはヨットの旅に出るという宣言と共に事実上の引退を表明しました。引き際の潔さもまた、久米宏という男の魅力の一つでした。
| 番組名 | ジャンル | 特徴的なスタイル |
| ザ・ベストテン | 音楽 | マシンガントーク、データの重視 |
| TVスクランブル | 情報風刺 | アドリブ、即興的な演出 |
| ニュースステーション | 報道 | 脱ネクタイ、分かりやすい解説 |
| ラジオなんですけど | ラジオ | 本音トーク、リスナーとの交流 |
久米宏 主要出演番組・代表作一覧
| ジャンル | 番組名 | 放送期間(出演時期) | 放送局 | 役割・備考 |
| 音楽 | ザ・ベストテン | 1978年 – 1985年 | TBS | 司会(黒柳徹子とコンビ) |
| 報道 | ニュースステーション | 1985年 – 2004年 | テレビ朝日 | メインキャスター |
| バラエティ | ぴったし カン・カン | 1975年 – 1984年 | TBS | 2代目司会 |
| 情報/風刺 | 久米宏のTVスクランブル | 1982年 – 1985年 | 日本テレビ | 司会(横山やすしと共演) |
| トーク | おしゃれ | 1980年 – 1987年 | 日本テレビ | 2代目司会 |
| 料理 | 料理天国 | 1975年 – 1992年 | TBS | 司会(芳村真理とコンビ) |
| ラジオ | 土曜ワイドラジオTOKYO | 1978年 – 1985年 | TBSラジオ | パーソナリティ |
| ラジオ | 久米宏 ラジオなんですけど | 2006年 – 2020年 | TBSラジオ | パーソナリティ |
| 教養/経済 | 久米宏 経済スペシャル | 2008年 – 2011年 | テレビ東京 | 司会(不定期特番) |
| 教養 | 久米書店 | 2014年 – 2016年 | BS日テレ | 店主(司会) |
| ドラマ | ガリレオ(第1シーズン) | 2007年 | フジテレビ | 第9・10話 ゲスト出演 |
久米宏は何に出てたのか名番組の功績を整理
久米宏さんは、単なるアナウンサーという枠組みを遥かに超えた、時代そのものを形作る表現者でした。彼が残した功績を改めて振り返り、その偉大な歩みを記憶に刻みましょう。
- 2026年1月1日に肺がんのため逝去し享年81歳であった
- 最後の瞬間は大好きなサイダーを飲み干して旅立った
- TBS入社直後に結核による療養を経験し挫折を味わった
- ザ・ベストテンでは黒柳徹子との名コンビで時代を牽引した
- ぴったしカン・カンでは萩本欽一らと軽妙な掛け合いを見せた
- 料理天国では料理をエンターテインメントとして紹介した
- フリー転身後の番組おしゃれでは高い対談能力を発揮した
- TVスクランブルでは横山やすしとニュースを笑いに変えた
- ニュースステーションで報道番組に主観と演出を持ち込んだ
- 生放送中の丸刈りやビールでの乾杯など破天荒な伝説を作った
- NHKの番組出演時に公共放送のあり方を問う発言で注目を集めた
- 晩年はラジオ番組を通じてリスナーと深い信頼関係を築いた
- 自分の感覚が古くなる前に辞めるという引き際の美学を貫いた
- 最後まで体制の中にいながら体制を批判する姿勢を持ち続けた
- 現代のインフルエンサーの先駆けとなる個の力を見せつけた
久米宏さんの生涯を振り返ると、彼がいかに既存の境界線を飛び越え、新しい地平を切り開いてきたかが理解できます。彼が各番組で残した言葉の一つひとつは、今を生きる私たちにとっても、メディアや社会と向き合うための大切なヒントを与えてくれています。
昭和から平成、そして令和まで。彼が駆け抜けた81年の歳月は、日本の放送文化そのものでした。素敵な番組をありがとうございました。心よりご冥福をお祈りいたします。
