安青錦の両親はどんな人?家族や経歴、強さの秘密を徹底解説

安青錦の両親はどんな人?家族や経歴、強さの秘密を徹底解説
出典:日本相撲協会公式サイト(https://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/4230/)

初土俵からわずか1年で新十両、1年半で新入幕、そして2年を待たずに新三役へ――。ウクライナ出身の力士、安青錦関は、まさに規格外のスピードで番付を駆け上がっています。その驚異的な活躍とともに、多くの相撲ファンやメディアが注目しているのが、彼のルーツである安青錦関の両親と家族の存在です。

戦禍の母国を離れ、異郷の地で夢を追いかける若き力士。その強靭な精神力と卓越した技術は、一体どこで育まれたのでしょうか。この記事では、安青錦関を深く理解するために不可欠な、彼の家族構成や出身地、そして相撲界に入るまでの詳細な経歴を徹底的に掘り下げます。

さらに、彼の強さの根幹をなすレスリング経験や、一度見たら忘れられない得意技の内無双の秘密、育ての親である師匠との絆、そして多くの人が関心を寄せる四股名の読み方や由来、年齢、身長、特徴的な肩のあざの真相に至るまで、あらゆる情報を網羅しました。この記事を最後まで読めば、安青錦という力士の人物像がより鮮明になるはずです。


この記事でわかること

  • 安青錦の両親や家族構成、戦争によって変わった現在の生活状況
  • 安青錦の出身地や、ウクライナから来日し角界入りするまでの詳細な経歴
  • レスリング経験や得意技など、力士としての比類なき強さの源泉
  • 師匠との深い絆や、ファンが気になる身体的な特徴についての詳しい解説

目次

安青錦の両親はどんな人?気になるプロフィール

  • 戦禍を乗り越えた家族構成
  • 四股名「安青錦」の正しい読み方
  • 安青錦の年齢と公表されている身長
  • 故郷ウクライナの出身地はどこ?
  • 来日後の学歴と相撲経験

戦禍を乗り越えた家族構成

安青錦関は、父、母、そして異母兄からなる4人家族の中で育ちました。しかし、2022年2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵攻は、この家族の日常を根底から覆し、それぞれが離れた場所で暮らすという過酷な現実をもたらしました。

ドイツで暮らす両親

安青錦関の父親はセルゲイさん(2025年時点で57歳)、母親はスウィトラナさん(同年時点で47歳)です。戦争が始まった後、二人は命の危険を逃れるために祖国を離れ、ドイツのデュッセルドルフへと避難しました。現在は、現地のクリーニング店で働きながら、遠い日本で活躍する息子の姿を見守っています。

安青錦関の家族への想いは非常に深く、彼の言動の端々からその愛情がにじみ出ています。例えば、2025年3月場所で新入幕にして11勝4敗の好成績を収め、初の三賞となる敢闘賞を受賞した際には、その賞金について「お父さんとお母さんに何かを買ってあげたい」と語りました。この言葉は、多くの人々の心を打ち、彼の人間性を象徴するエピソードとして広く知られるようになりました。

インタビューでは、ドイツで働く両親への仕送りは特にしていないと語っていますが、それは両親が自立して生活していることへの信頼の証でもあるでしょう。彼にとって、土俵の上で勝ち続ける姿を見せることが、何よりも両親を安心させ、喜ばせる最大の親孝行だと考えているに違いありません。

ウクライナに残る兄と、家族再会への夢

安青錦関には、ニキタさん(同年時点で24歳)という3歳年上の異母兄がいます。侵攻当時、ニキタさんはウクライナ国内の大学に在学中だったため、国外への避難は選択せず、現在も母国に留まっています。

父と母はドイツ、兄はウクライナ、そして自身は日本。家族が三つの国に引き裂かれているこの状況は、21歳の若者が背負うにはあまりにも重い現実です。それでも安青錦関は前を向き続けます。彼の大きな夢の一つが、「戦争が終わったら、家族4人で再び食卓を囲むこと」。この素朴で切実な願いが、彼の土俵人生における最も強力な精神的支柱となっているのです。

四股名「安青錦 新大」の正しい読み方

安青錦新大の四股名は「あおにしき あらた」と読みます。一度聞いたら忘れられない美しい響きを持つこの名前には、彼を支える人々や、決して忘れることのない祖国への深い想いが幾重にも込められています。

師匠・安治川親方への敬意

四股名の「」と「」の二文字は、彼の師匠である第8代安治川親方(元関脇・安美錦)の現役時代の四股名から受け継いだものです。安治川親方は、現役時代「曲者」と称されたほどの卓越した技術でファンを魅了した名力士。その偉大な師匠の名を継ぐことは、部屋の看板を背負うという強い覚悟の表れに他なりません。安治川部屋が創設されて以来、安青錦関は初の関取であり、初の三役力士。彼は師匠の期待を一身に背負い、土俵に上がっています。

祖国ウクライナと恩人への感謝

」の一文字は、彼のアイデンティティそのものを象徴しています。これは、祖国ウクライナの国旗の青色と、彼自身の美しい青い瞳の色に由来します。遠く日本にいても、心は常に祖国と共にあるというメッセージが込められているのです。

そして、下の名前である「新大(あらた)」は、彼の人生を大きく変えた恩人の名前に由来します。2019年に大阪で開かれた世界ジュニア相撲選手権大会で出会った、当時関西大学相撲部の主将だった山中新大(やまなか あらた)さんです。戦禍を逃れて日本に来る際、安青錦関を自宅に受け入れ、生活を支えてくれたのが山中さんでした。この温かい支援がなければ、今の安青錦関は存在しなかったかもしれません。

ちなみに、安青錦関の本名は「ダニーロ・ヤブグシシン」。部屋の仲間やファンからは、本名に由来する「ダーニャ」や、四股名から取った「あおちゃん」といった愛称で親しまれ、その誠実な人柄で多くの人々に愛されています。

安青錦の年齢と公表されている身長

安青錦関の基本的なプロフィールを、他の上位力士との比較も交えて見ていきましょう。

項目内容
生年月日2004年3月23日
年齢21歳(2025年9月5日時点)
身長182.0cm
体重140.0kg
血液型B型
所属部屋安治川部屋
初土俵2023年9月場所

(出典:日本相撲協会公式サイト)

軽量ながらも技術で補う体格

身長182cm、体重140.0kgという体格は、一般的に見れば非常に大きいですが、幕内力士がひしめく角界においては、むしろ軽量な部類に入ります。例えば、横綱・大の里は192cm・183kg、横綱・豊昇龍は188cm・143kgであり、安青錦関が体格的なハンディを背負っていることは明らかです。

しかし、彼はそのハンディを全く感じさせません。その理由は、体重差を補って余りある圧倒的なスピードと、レスリングで培われた卓越した相撲技術にあります。特に、絶対に頭を上げない低い姿勢からの攻めは、大きな相手であればあるほど効果を発揮し、懐に潜り込んで相手の体勢を崩します。

驚異的なスピード出世の記録

21歳という若さで三役に到達したことも、彼の非凡さを示しています。初土俵から所要12場所での新三役昇進は、元大関・小錦や元横綱・朝青龍らが持っていた14場所という記録を塗り替える、1958年の年6場所制以降で史上最速の記録です。この偉業は、彼が単なる期待の若手ではなく、既にトップレベルの実力を持っていることの証明と言えるでしょう。

故郷ウクライナの出身地はどこ?

安青錦関の故郷は、ウクライナの中西部に位置するヴィーンヌィツャ州です。この地は、彼の人間性と相撲の原点を育んだ重要な場所です。

「ヨーロッパで最も美しい噴水」がある街

ヴィーンヌィツャ州は、首都キーウから南西に約260km離れた場所にあります。豊かな黒土地帯(チェルノーゼム)が広がるウクライナを代表する穀倉地帯の一つであり、小麦やトウモロコシの栽培が盛んです。

州都であるヴィーンヌィツャ市は、南ブーフ川のほとりに広がる美しい街で、歴史的な教会や建造物が多く残されています。特に、川に設置された巨大な噴水「ロシェン・ファウンテン」は、夜になると音楽と光のショーが繰り広げられ、「ヨーロッパで最も美しい噴水」の一つとして知られています。

安青錦関は、この穏やかで美しい環境の中で7歳から相撲を始め、世界で戦う力士になるという大きな夢を育んでいきました。しかし、この故郷もロシアの侵攻と無縁ではありません。2022年7月にはヴィーンヌィツャ市中心部がミサイル攻撃を受け、多くの民間人が犠牲になりました。故郷が戦禍にあるという現実は、彼の心に常に重くのしかかっていますが、同時に、故郷の人々を勇気づけたいという強い想いが、土俵での闘志を燃え上がらせています。

来日後の学歴と相撲経験

安青錦関は、ウクライナの国立大学に合格が決まっており、本来であれば学問の道を歩み始めていたはずでした。しかし、戦争が彼の人生の航路を大きく変え、日本で力士になるという、もう一つの夢へと導きました。

恩人との出会いと稽古の日々

2022年4月、安青錦関は戦禍を逃れて単身来日します。頼れる人はただ一人、2019年の世界ジュニア相撲選手権で知り合った山中新大さんでした。山中さんは彼の窮状を理解し、神戸市にある自身の実家に快く受け入れました。

そこから、安青錦関の猛稽古の日々が始まります。山中さんが所属する関西大学相撲部や、相撲の名門である報徳学園中学校・高等学校の稽古に参加し、日本の相撲のレベルの高さを肌で感じながら、一心不乱に汗を流しました。このアマチュア相撲の強豪たちと稽古を積んだ経験が、彼の潜在能力をさらに引き出し、プロの世界で即戦力として通用する素地を作り上げたのです。

驚異的な日本語習得能力と角界入り

彼の来日後の成長で特筆すべきは、相撲の技術だけではありません。非常に流暢な日本語を操る彼の語学力は、多くの人々を驚かせています。本人は「日本語学校には少し通ったが、ほとんどは部屋の力士たちとの日常会話で覚えた」と謙遜しますが、これは彼の知性の高さと、日本文化に溶け込もうとする真摯な姿勢の表れでしょう。

協会の公式プロフィールでは、好きなテレビ番組に『ジャンクSPORTS』、好きな漫画に『はじめの一歩』を挙げるなど、日本のスポーツ文化にも深く親しんでいます。この高い適応能力が、異国の地での厳しい生活を乗り越える上で大きな助けとなったことは想像に難くありません。

そして、報徳学園での熱心な稽古ぶりが、同校の相撲部監督を通じて安治川親方の知るところとなり、運命の扉が開かれます。2022年12月に研修生として安治川部屋に入門し、ビザ取得などを経て、2023年9月場所で念願の初土俵を踏むことになったのです。

安青錦の両親も応援!力士としての強さの秘密

  • 強さの原点となったレスリング経験
  • 育ての親である師匠・安治川親方
  • 珍しい得意技「内無双」とは?
  • 特徴的な右肩のあざについて

強さの原点となったレスリング経験

安青錦関の相撲は、ただ前に出るだけではありません。そこには、長年にわたるレスリング経験によって培われた、高度な技術とフィジカルが融合しています。

国内王者にも輝いた卓越したレスリング技術

7歳で相撲を始めた彼ですが、驚くべきことに8歳から17歳までの9年間、相撲と並行してレスリングにも真剣に取り組んでいました。レスリングはウクライナで人気のスポーツであり、彼はその世界でも非凡な才能を発揮。17歳の時には、ウクライナの国内大会110kg級で優勝を飾るほどの実力者でした。

この経験が、彼の相撲に計り知れない深みを与えています。

  • 強靭な足腰と体幹:レスリングのタックルや投げ技で鍛えられた下半身の強さが、低い姿勢を維持し、相手の押しをこらえる安定感を生み出しています。
  • 卓越したバランス感覚:土俵際での驚異的な粘りや、体勢を崩されてからでも技を繰り出せる柔軟性は、レスリングで養われたものです。
  • 多彩な足技:相手の足を刈ったり、払ったりする技術は、相撲の決まり手にも応用され、彼の攻撃パターンを予測困難なものにしています。

まさに、相撲とレスリングという二つの格闘技の長所を、自身の肉体の中で見事に融合させているのです。

育ての親である師匠・安治川親方

もし山中新大さんが「日本での生みの親」であるならば、角界での「育ての親」は間違いなく**師匠の安治川親方(元関脇・安美錦)**です。この師弟の出会いが、安青錦という才能を角界の至宝へと磨き上げています。

師匠譲りの技巧派相撲

安治川親方は、現役時代に通算97回の「内無双」をはじめとする多彩な決まり手を武器に、「安美マジック」と称される技巧派相撲で土俵を沸かせました。その豊富な知識と経験に基づく指導は、安青錦関のスタイルに完璧に合致しています。

安青錦関はインタビューで、自身の相撲について「(ヨーロッパ流の)最初から組む相撲に慣れていたため、大相撲の立ち合いはまだ発展途上」と自己分析していますが、その一方で「師匠から懇切丁寧に技術指導を受けている」ことが、技巧的な相撲を支えていると語っています。まさに、名伯楽の指導が、原石を急速に輝かせているのです。

師弟の絆を示すエピソード

安青錦関の師匠への尊敬の念は非常に深く、入門当初、YouTubeで見ていた憧れの「安美錦」と一緒に車に乗っていることに、静かに感動していたというエピソードは有名です。師匠もまた、部屋創設以来、初の関取となった弟子の成長を誰よりも喜んでいます。新三役昇進会見では「初めて会った時からしたら夢のよう。期待しかしていない」と目を細めつつ、「真面目すぎるから、息抜きも大事」と、常に相撲のことを考える弟子を気遣う優しさを見せました。この深い信頼関係こそが、安青錦関が実力を最大限に発揮できる盤石な土台となっています。

珍しい得意技「内無双」とは?

安青錦関の相撲を一躍有名にしたのが、幻の決まり手とも言われる「内無双(うちむそう)」です。彼の代名詞とも言えるこの技は、レスリング経験と相撲の技術が融合した、まさに芸術品です。

出典:日本相撲協会公式チャンネル 大相撲 安青錦ー霧島<令和7年名古屋場所・5日目>SUMO

発生割合わずか0.03%の幻の技

内無双とは、相手が前に出てくる力を利用し、相手の膝の内側に自分の手を掛けて払い上げると同時に、体をひねって相手を豪快に倒すという非常に高度な技術を要する捻り手です。

その希少価値は数字にも表れており、日本相撲協会の公式データによれば、平成25年1月場所から令和7年7月場所までの約12年半、**約17万7千番にも及ぶ取組の中で、内無双が決まったのはわずか53番。発生割合にすると、たったの0.03%**です。これは、ほとんどの力士が生涯で一度も目にすることがないほどの珍しい決まり手と言えます。

「内無双」がもたらした衝撃

安青錦関は、この幻の技を幕内の土俵でいとも簡単に繰り出し、ファンや専門家に衝撃を与えました。2025年5月場所5日目の翠富士戦を皮切りに、同年7月場所では初日に大関・琴櫻、5日目には関脇・霧島といった実力者を次々とこの技で破っています。

NHK大相撲中継では、実況アナウンサーが「また出た内無双!」と興奮気味に絶叫。解説の元小結・舞の海秀平氏も「強い、うまい。最近は内無双をやる力士がいなかったので、相手はウカウカしていられないですよ」と、その技術を絶賛しました。この技の存在が、対戦相手に「前に出れば内無双を食らうかもしれない」というプレッシャーを与え、安青錦関の相撲をさらに有利にしているのです。

特徴的な右肩のあざについて

安青錦関の取組を見ていると、引き締まった筋肉質な体躯の中で、右肩にある青みがかったあざに目が留まる方も少なくないでしょう。このあざの正体について解説します。

蒙古斑の一種「異所性蒙古斑」

このあざは、怪我や病気の跡ではなく、「異所性蒙古斑(いしょせいもうこはん)」である可能性が極めて高いと考えられます。

蒙古斑は、皮膚の深い層(真皮)にメラニン色素を作り出す細胞(メラノサイト)が存在するために青く見えるあざの一種で、正式には「真皮メラノサイトーシス」と呼ばれます。日本人を含むモンゴロイド系の赤ちゃんの9割以上にお尻や腰に見られ、通常は成長と共に自然に消えていきます。

一方で、安青錦関のような白色人種に現れたり、お尻や腰以外の場所(腕、足、顔など)に現れる蒙古斑を「異所性蒙古-斑」と呼びます。これは非常に珍しいケースですが、健康上の問題は全くありません

彼のこのあざは、ファンにとってはすっかりお馴染みのものとなり、彼の個性を示すチャームポイントの一つとして広く認知されています。

まとめ:安青錦と両親の絆と今後の活躍

この記事では、安青錦関の両親や家族、そして彼の驚異的な強さを支える様々な背景について、詳しく解説しました。最後に、この記事の重要なポイントをまとめます。

  • 安青錦の両親はウクライナ出身で父はセルゲイさん母はスウィトラナさん
  • ロシアの侵攻により両親は現在ドイツのクリーニング店で働いている
  • ウクライナには大学生だった異母兄のニキタさんが在住
  • 離れ離れの家族4人で再び食卓を囲むのが彼の大きな夢
  • 本名はダニーロ・ヤブグシシンで愛称はダーニャ
  • 四股名は師匠や恩人、そして祖国ウクライナへの想いに由来する
  • 2004年生まれで2025年9月時点の年齢は21歳
  • 出身地はウクライナ中西部の美しい街ヴィーンヌィツャ州
  • 戦禍を逃れて2022年に来日し角界入りの夢を叶えた
  • 9年間のレスリング経験が現在の相撲の強固な土台となっている
  • 育ての親である師匠は元関脇・安美錦の安治川親方
  • 発生割合0.03%の珍技「内無双」を必殺技の一つとしている
  • 右肩の特徴的なあざは健康に問題のない異所性蒙古斑の可能性が高い
  • 初土俵から所要12場所という史上最速記録で新三役に昇進した
  • 祖国と家族への想いを胸に、今後のさらなる飛躍が期待される
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